和本明治13年(1880)仏教天文学「視実等象儀詳説」全1冊/佐田介石/絵入古書古文書/木版摺り/田中久重です。

1+3+19+40丁。半紙本。木版刷り。元題簽。見返しあり。奥付あり。

佐田介石が地球儀に対抗して天動説を説くために考案し、 製作を田中久重に依頼した視実等象儀が国立科学博物館に残っている

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『データ』
【書名】 視実等象儀詳説
【巻冊】 全1冊
【著者】 佐田介石(明治前期の国粋主義者,僧侶。字は断識,等象斎と号す。肥後国八代郡種山村(熊本県東陽町)に浄立寺住職広瀬慈博の子に生まれ,のち正泉寺佐田氏の養子となる。天保6(1835)年京都に出て本願寺で仏教学を学ぶ。幕末には,洋学の説く地動説に反対し,仏教の須弥山説に基づく天文暦法を研究し,『視実等象儀詳説』を著し天動説を唱え,護法,反キリスト教の立場に立った。この考えは維新後の文明開化の風潮へ反対することとなった。さらに当時の経済状況を憂い,富国策として国産奨励,舶来品排斥を主張し,『栽培経済論』を著した。そのなかでは有名なランプ亡国論があり,また鉄道亡国論,あるいは牛乳大害論,蝙蝠傘四害論,太陽暦排斥,簿記印記無用論などの奇説を展開した。この実践のため,国産品使用,舶来品代用品の製造普及,各地での講演宣伝,舶来品排斥結社の結成などの外国品排斥運動を展開,新潟県高田で講演活動中に没した。明治前期における国粋主義思想の前駆として異彩を放った。)
【成立】 明治13年(1880)