和本明治期富士講「神道丸山/富士信導記」1冊/宍野半/伊藤六郎兵衛/丸山教/古書古文書/手書きです。
9丁。半紙本程度。手書き。










『データ』
【書名】 神道丸山/富士信導記
【巻冊】 1冊
【著者】 宍野半(江戸時代末期の神道家。幼名は半左衛門,半之進,のち半と改めた。平田銕胤に神道を学び,代々郷士の家で薩摩の復古神道に属する。明治5(1872) 年教部省の出仕となった。富士一山講社を組織し,翌年浅間神社の宮司となり,吉田,須走などの神社祠官を兼ね,富士信仰の復興に努力した。 1882年一派独立の許可を得て,扶桑教と称し,その管長となる。造化三神を主神として祀り,神道が国法たることを強調し,教典として『神徳経』『神理大要』などがある。皇典講究所創立にも尽力し,自著に『扶桑教』『富士信導記』を残した。)と伊藤六郎兵衛(富士信仰の上に独自の神道教義をたて,明治6年丸山教をひらく。教導職の資格がないため弾圧をうけ,8年から富士一山講社(のちの扶桑教)に属して活動。のち資格をえて,18年丸山教会として神道本局に所属した。明治27年3月30日死去。66歳。武蔵橘樹郡(神奈川県)出身。本姓は清宮。著作に「おしらべ」(教義書)。)の問答
【成立】 明治期