2019年10月
和本明治摺切附本「蝦夷錦源氏直垂」1冊/仮名垣魯文/一燕斎芳鳥(歌川芳鳥女)/絵入古書古文書/木版摺り/中本型読本/アイヌ
和本江戸文政年間大名名鑑「新刻増補大成武鑑」4冊/出雲寺版/家紋/系図/古書古文書/木版摺り
江戸寛政9年(1797)絵入「小笠原流礼法巻物」1巻/水島卜也の系統/古書古文書/手書き
和本江戸寛政10年(1798)序俳論書写本「去来抄」全1冊/向井去来/俳句/俳諧/古書古文書/手書き
和本江戸寛政10年(1798)序俳論書写本「去来抄」全1冊/向井去来/俳句/俳諧/古書古文書/手書きです。
39丁。25cm×19cm。手書き。元題簽。
『データ』
【書名】 去来抄
【巻冊】 全1冊
【著者】 向井去来(江戸時代中期の俳人。通称,嘉平次または平次郎。諱,兼時。字,元淵。別号,落柿舎。元升の子。 24歳頃武士をやめ,陰陽道などの学をもって堂上家に仕えた。貞享年間 (1684~88) 頃其角を介して松尾芭蕉に入門。元禄4 (91) 年芭蕉は洛西嵯峨の去来の別荘落柿舎に滞在して『嵯峨日記』を書いた。同年凡兆と『猿蓑』を共編。芭蕉没後も固く師説を守り,同門の高弟たちが邪道に走るのを座視できず,其角や許六と論争し,『贈其角先生書』『答許子問難弁』などを書いた。篤実な人柄で同門の人々にも尊敬され,芭蕉も最も信頼して「鎮西の俳諧奉行」といったという。許六との論争を収めた『俳諧問答青根が峰』 (1785) や,『去来抄』 (75) ,『旅寝論』 (78) など重要な蕉風俳論を残した。兄の震軒,弟の魯町,牡年,妹の千子,妻の可南も俳諧をたしなんだ。)
【成立】 寛政10年(1798)序和本折本昭和初期非売品オカルト「交霊感応/気合術講習秘録」上1帖/天玄洞本院講述(石川素禅)/古書古文書
和本明治12年(1879)内務省博物局蔵板考古学「博物叢書」上代石器考1冊/国学者/黒川真頼/古書古文書/木版摺り
和本明治12年(1879)内務省博物局蔵板考古学「博物叢書」上代石器考1冊/国学者/黒川真頼/古書古文書/木版摺りです。
26丁。半紙本。木版刷り。元題簽。見返しあり。奥付あり(刊年の記載なし)。
『データ』
【書名】 博物叢書
【巻冊】 上代石器考1冊
【著者】 黒川真頼(幕末-明治時代の国学者。文政12年11月12日生まれ。黒川春村にまなび,養子となる。文部省,内務省などにつとめ,明治26年帝国大学教授。日本史,国文学,美術などの実証的研究で知られ,「古事類苑」の編集にも従事した。明治39年8月29日死去。78歳。上野(群馬県)出身。本姓は金子。名は別に寛長。号は荻斎,万里。著作に「万葉集本義」「倭名類聚鈔一覧」など。)
【成立】 明治12年(1879)内務省博物局蔵板