2019年11月
和本江戸期中国本草学和刻本「本草綱目」41冊/稲生若水/絵入古書古文書/木版摺り/漢方薬/東洋医学
和本江戸期中国本草学和刻本「本草綱目」41冊/稲生若水/絵入古書古文書/木版摺り/漢方薬/東洋医学です。
5+1+23+19、12+23、3+3+20+21、27+22、1+2+5+4+40、38、2+100、58、2+55、40+46、27+12+33、3+67、73+49、63、91、68、106、99、104、66+57、67+55、34+21+31、40+26、26+46、73、48+40、40+61、35+30+38、71、94、82+33、35、47+31、36+34、45、62、27+35、27+54+32、103、106、49丁。大本。木版刷り。題簽傷み欠損あり。奥付あり。
『データ』
【書名】 本草綱目
【巻冊】 41冊(全45冊のうち巻1、図経乾、図経坤、学奇経の4冊が欠)
【著者】 稲生若水(江戸中期の本草学者・漢学者。江戸生。稲生恒軒の子。名は宣義、字は彰信、通称を正助、別号を白雲道人。儒を父と木下順庵に、本草を大坂の福山徳潤に学び、本草学を志す。加賀前田侯に儒者として仕え、金沢と京都を往復し、本草の著述に専心、前田綱紀の命を受けて『庶物類纂』を著す。弟子に松岡恕庵・野呂元丈・丹羽正伯ら。正徳5年(1715)歿、61才。) 校
【成立】 江戸期和本江戸期儒学儒教和刻本「孔子家語」全10巻5冊揃/王粛/古書古文書/木版摺り
和本江戸元禄2年(1689)跋中国漢詩和刻本「七才子詩集註解」乾坤2冊揃/陳継儒/李士安/古書古文書/木版摺り
和本江戸天明元年(1781)版刀剣刀装具根付「装剣奇賞」7冊揃い/稲葉通竜/絵入古書古文書/木版摺り/金唐革紙/印籠
和本昭和6年(1931)版女性思想家只野真葛「真葛がはら」1冊/古書古文書/和紙に活版
和本昭和6年(1931)版女性思想家只野真葛「真葛がはら」1冊/古書古文書/和紙に活版です。
54丁。半紙本。和紙に活版。奥付あり。
『データ』
【書名】 真葛がはら
【巻冊】 1冊
【著者】 只野真葛(江戸中期,仙台藩医で『赤蝦夷風説考』の著者工藤平助の娘。名は綾子。江戸生まれ。明和9(1772)年10歳で大火に遭い,苦しむ貧民に心を寄せ,のちのちまで続く経世済民の志を抱く。荷田蒼生子に古典を学び,村田春海に和文の才を認められ,また滝本流の書もよくした。仙台藩に奥勤めののち,家へ帰り母なきあとの家政をみる。36歳で,落ちぶれた工藤家復興を期して仙台藩士,1200石の只野伊賀行義の後妻となり仙台へ下る。江戸勤めの多い夫の留守を守りながら思索にふけり,55歳のとき,胸の想いを全3巻にまとめ『独考』と題して江戸の滝沢馬琴に送り,批評と出版を依頼する。馬琴は禁忌にふれる部分もあると出版に反対し,自ら『独考論』を著し真葛の論に反撃した。また,真葛の事跡がある程度明らかとなっているのは,馬琴が『兎園小説』に書き留めたゆえである。真葛は体系的な学問をしたわけではないが,国学,儒学,蘭学などのうえに独自の思想を築いていった。『独考』は偏りもあるが,江戸期の女性の手になる社会批判書であり,女性解放を叫ぶ書として評価できる。)
【成立】 昭和6年(1931)版