北さん堂雑記パート2

江戸の本屋北さん堂のブログです。 ホームページ http://the-man.info/

タグ:蘭学

和本江戸慶応3年の書き入れ「新撰年表」全1冊/佐倉順天堂/清宮秀堅/蘭学/古書古文書/木版摺りです。

1+9+45+1丁。25.5cm×18cm。木版刷り。元題簽。見返しあり。

佐倉順天堂は藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然が天保14年(1843)に開いた蘭医学の塾兼診療所。

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『データ』
【書名】 新撰年表
【巻冊】 全1冊
【著者】 清宮秀堅(清宮棠陰。江戸後期-明治時代の国学者。文化6年10月1日生まれ。27歳で下総佐原村(千葉県)の里正(村長)となる。30年がかりで地誌「下総国旧事考」をあらわし,維新後は新治県の地誌編集にあたる。理財にも通じた。明治12年10月20日死去。71歳。字は穎栗。通称は利右衛門。号は棠陰。) 
【成立】 慶応3年の書き入れがある

和本大正9年(1920)非売品復刻版「蘭学大道編」全1冊/佐藤信淵/古書です。

32丁。24cm×16.5cm。元題簽。奥付あり。

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『データ』
【書名】 蘭学大道編
【巻冊】 全1冊
【著者】 佐藤信淵
【成立】 大正9年(1920)非売品

和本江戸安永9年(1780)蘭学医学写本「会寸可留用方口訣」1冊/古書古文書/手書きです。

18丁。半紙本程度。手書き。

三浦泰行という人物が写したもの。

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『データ』
【書名】 会寸可留用方口訣
【巻冊】 1冊
【成立】 安永9年(1780)写

和本江戸天保7年(1836)序蘭学西洋医学「蘭法内用/薬能識」全1冊/高良斎/薬学/化学/古書古文書/木版摺り/稲垣春陽旧蔵です。

2+5+40+1丁。18cm×6.5cm。木版刷り。見返しあり。

伊勢国員弁郡阿下喜駅の医師「稲垣春陽」の旧蔵書。

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『データ』
【書名】 蘭法内用/薬能識
【巻冊】 全1冊
【著者】 高良斎(江戸後期の蘭方医。山崎好直の次男として阿波国北助任村(徳島市)に生まれる。名は淡,字は子清。徳島の眼科医高錦国の養子となり,文化14(1817)年長崎に留学。吉雄権之助に師事。一時帰郷,文政6(1823)年再び長崎に行き蘭館医シーボルトに師事し,蘭語の上達と本草の学識によって重用された。同11年シーボルト事件が起こると,これに連座して長崎を去り,徳島で西洋医学による診療,蘭語教授を行った。天保7(1836)年大坂北久太郎町へ転居,塾名を超然堂と称し,診療教授のかたわら多くの蘭医書を和訳した。その数は41種類にも上るが,多くは写本として伝わり,出版されたものに『蘭法内用薬能識』『駆梅要方』『薬品応手録』『耳眼詳説』などがある。)
【成立】 天保7年(1836)序

和本江戸期西洋医学蘭学写本「杉田先生秘伝医方」1冊/薬学/古書古文書/手書きです。

31丁。22.5cm×16cm。手書き。

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『データ』
【書名】 杉田先生秘伝医方
【巻冊】 1冊
【成立】 江戸後期

和本江戸期漢方薬蘭学「薬処方写本」1冊/医学/古書古文書/手書き/華岡青洲ほかです。

51丁。横本(13.5cm×19cm)。手書き。

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『データ』
【書名】 薬処方写本
【巻冊】 1冊
【成立】 江戸後期

江戸安政6年(1859)「眼の病気の古文書」1点/蘭学/野州茂木籐兵衛妻/古書古文書/手書きです。

29cm×20cm。

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『データ』
【書名】 眼の病気の古文書
【巻冊】 1点
【著者】 不明
【成立】 安政6年(1859)

和本江戸文政51822)蘭学西洋医学「遠西医方名物考」23冊/宇田川榛斎/宇田川榕庵/古書古文書/木版摺りです。


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『データ』

【書名】 遠西医方名物考

【巻冊】 巻1、3、5、6、7、8、10、12、13、14、15、16、17、18、20、24、25、26、29、30、32、33、34の23冊

【著者】 宇田川榛斎    宇田川榕庵 補校

【成立】 文政51822

和本江戸期西洋医学「眼科錦嚢」1冊/本庄普一/蘭学/古書古文書/木版摺りです。


26丁。大本。木版刷り。

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『データ』

【書名】 眼科錦嚢

【巻冊】 巻3、1冊です

【著者】 本庄普一(江戸時代後期の医師。寛政10年生まれ。文政8年ごろ長崎で西洋眼科を研究。帰郷後,武蔵川越(埼玉県)で開業。漢方・蘭方折衷の眼科医として患者の信望をあつめた。弘化3年11月4日死去。49歳。武蔵本庄(埼玉県)出身。名は俊篤。字は士雅。著作に「眼科錦嚢」など。)   小山玄敬/梶井元鴻

【成立】 幕末期ぐらい

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